経済で読み解く日本史 江戸時代 上念司さんの本

上念司さんの本です。

読んでみて感じたのは、今まで歴史感は 、"人"や"政治"の動きを文学的に見ていたということです。
しかし、人や政治に絡んだ物事が起きる背景には、 利害損失があるのは当然であり、
当時の"経済"に目を向けなければ、なぜそのような歴史になったかを学べないとい思います。

江戸時代は、徴税権の設定ミス、商品作物の価格上昇、米の価格低下、生産向上による貨幣不足(デフレ)、日米修好通商条約第5条による為替レートの設定ミスに、 端的に表されていると思います 。

江戸幕府は当時の日本を代表する中央政府でしたが、徴税権は徳川家の 400万石のみ。一方、歳出は毎年2000万石です。


宿命的に毎年赤字になる運命でしたが、 250年以上も 江戸時代が続いた理由に、貨幣鋳造による貨幣の増加から得られる通貨発行益(シニョレッジ)があります。

いわゆる貨幣の鋳造ですね。
小判の金銀の比率を落として、多くの貨幣を発行することにより得られる 政府の差益です。


江戸幕府は 年貢から徴収する 税金は少ないので 、貨幣鋳造による貨幣発行を繰り返し、通貨発行益(シニョレッジ)を手にすることによって 財政を保ってきました。

今でいう管理通貨制度に近い制度が、すでにこの江戸時代にできていたんですね。


貨幣増大によるリフレ派
綱吉時代の元禄文化(荻原重秀) →高度経済成長期
吉宗時代(大岡忠相)、田沼時代
化政文化の水野忠成 →江戸最大の好景気

緊縮財政(貨幣回収)によるデフレ派
新井白石 
松平定信
水野忠邦
→すべて不景気

しかし、開国で、この管理通貨制度(金や銀の保有量に関係しない小判)の国内レートが 命取りになります。

外国と貿易取引をする際にはその国の通貨の金銀保有率を等しくして 貿易を するのですが、

当時日本の天保一分銀4枚で天保小判1枚を交換することができました。
実際、天保一分銀にはほとんど銀が使われておらず、外国人はの天保一分銀を日本で買いまくって、天保小判に変えて、その含まれている金を香港で売りさばいて利益を得ました。

これによって 日本の金の流出が激しくなり、
幕府は、国内の金銀レートを世界と合わせるために、金含有量の低い万延小判を出しましたが、

これによって貨幣の国内の供給量が3倍に増えてしまい、ハイパーインフレーションが起きてしまいました。
これによる物価上昇で武士や庶民の生活は苦しくなり、

開国 + 江戸幕府 ≒ 悪

という図式が国内に広まりました。
討幕の原因は、貨幣鋳造によるハイパーインフレだったんですね。


また、外国から天保小判を買うための銀が国内に大量に入ってくることなりました。

今まで、銀のみの交換が許されていた"藩札"を発行していた西国諸藩の財政は 国内の銀が増えたことにより、銀に対して藩札の高値が相対的に高くなり、
いくら発行しても藩札の価値が下落しないことになりました。
このころから、西国諸藩が生意気になってきます・・・


また、江戸幕府明治維新で倒れたのではなく、日米修好通商条約第5条による金の流出による資金枯渇で倒産しています。
自滅したのであり、戦で倒れたわけではないのですね。


結局、歴史とは、お金の動きに連結しています。

この経済の歴史を学ぶことで、真に過去から学べる歴史になるかと・・・