福岡の残暑、北海道の風、そして何者にもなれなかった40代の自分へ

​福岡に戻ってきた途端、まとわりつくような蒸し暑さに溜息が出る。

先週まで滞在していた北海道の、あの澄んだ涼しい風が早くも恋しい。

​汗を拭いながら実家の親の顔が浮かぶ。

ずいぶんと小さくなった背中。白髪が増えた父親と、膝を痛そうにする母親。

「もっと近くにいてあげられたら」「一緒に住んで親孝行できたら」という思いが頭をよぎるけれど、今の自分の現実を考えると、それすらも容易ではないことに胸がキュッとなる。

​会社では相変わらずの平社員。

世間でいう「うだつが上がらない中年」という言葉が、今の自分にはあまりにもしっくりきすぎて笑えてくる。

学生の頃はそれなりに野心もあった。昇進して、役職について、責任ある立場でバリバリ働く未来を思い描いていた時期もあった。

けれど、実際は、待てど暮らせど声はかからない。職場内の政治や期待の視線から静かに外れていく感触を何度も味わううちに、僕の心の中にはいつしか「諦め」という折り合いの付け方が根付いてしまった。

​でも、完全に冷め切って捨てることもできないのが、僕という人間の面倒くさいところだ。

​最近、誰に頼まれたわけでもなく、職場の広報効果を測定するための「数理モデル」を一人で黙々と作っている。

複雑な数式を組み込み、データを入力し、グラフが綺麗な曲線を描くのを見る。

会社から評価されるわけでもない。ボーナスが増えるわけでもない。プレゼンする機会すらないかもしれない。

完全に、ただの「自己満足」だ。

​だけど、この一見無駄に見える作業をしている時間だけが、今の自分を少しだけ肯定してくれる気がしている。

​昇進のルートからは外れたかもしれない。

親に胸を張って誇れるような「立派な息子」にはなれなかったかもしれない。

それでも、仕事の合間に誰も気づかない数理モデルをこねくり回している自分は、そこまで悪くないんじゃないか。

​完璧な人生なんてないし、ドラマのような大逆転もおそらく起きない。

それでも、福岡の暑い夜に冷たいお茶を飲みながら、自分だけの小さな世界で数学と格闘する。

こんな冴えない中年の日常も、まあ一興ということにしておこう。

病院の混雑

土曜日に皮膚科にきた。

高齢者が大勢いる。

高齢者は、平日も行けるので、土日は来ないでほしい。

そして、平日も朝一で病院に来る高齢者はやめてほしい。

現役世代は、朝、会社遅らせて、病院に来ているのに。

 

しかし、まあ、いつ来ようと本人の自由か。

 

人生も後半戦

今まで住みたくない場所に住んで、やりたくない仕事をシテキタ。

子育てが終わる50代から、一旦、今のコミュニティを離れて、自分の人生にウェイトをおこう。でないと、もう寿命が尽きるよ。