さて

秋晴れ

濁っていた頭の中が、清廉な水で浸されていくような気持ちのいい秋晴れだ。家は秋の仙台市内が一望できる高台、というより、雑木林の中にある。見ているだけで美しい。
秋の"木の葉"、"雑木林"、"高い空"は生きるという、ボルテージをあげてくれる。美しいものを所有するなんて野暮だが、美に触れ、そして過ぎ去っていく美を感じることは最高の贅沢でないだろうか。
そうとはいえ、一日で美を感じることはあるだろうが、美は一日では出来ない。幾星霜の時を経て幾多の風雪に耐え、試練を乗り越えていくから、味なものに変化していくのだろう。自然のみならず、人間もまた例外ではない。